実家の太さは書かれていない

新聞だかネットニュースで読んで、ああ、そうか、と目から鱗が落ちた記事があった。

なんだったかな、東京に実家があるというのは、挑戦をより可能にする、みたいな話でさ。
東京の文化的な活動をした1990年代~2000年代?のアーティストの一定数は、東京に実家があって、いざとなったら実家が支えてくれる程度の中小事業者の親の資金力をもとに芸術活動をやっていたのだ、それは無視できないインパクトだ、みたいな話。

その例として挙げられていたのは、東京パンクロックを牽引した大槻ケンヂで、大槻の実家は中野?の中小事業者で、20代後半までぶらぶらしていることが許され、失敗していざとなったら実家に帰るだけで済む、そういう環境があの時代のアートを支えたのだ、という視点からあの時代を見てみよう、というような。

その記事見当たらなくなった。Twitterで流れてきたやつかも。また読みたいな。

そんで、その話だけど、何か挑戦するときには、っていうか、挑戦しないとしても、実家の太さというか、実家が駆け込めるシェルターであるかどうかというのは、本当に本当に、その人間の人生を左右すると思う。

ちなみに私は駆け込めない側。

というようなことを知らなかった大学時代、芸術やらビジネスやらで成功していった文化人や、母校OBやらを目にして、自分もそうできるのかなと思ってた。

一方で、なんか違う、私にはその道が見えないと思ってもいた。

その頃、薄々気づいてはいたのよ。

辻井喬が詩人で小説家であり、西武デパートの社長でもあった、東大経済学部出身というプロフィールはよく目にする。
だけど、新聞やら、本人の著書やらでは分からないこともあってさ。

彼はそれ以前に、圧倒的に「西武グループの総帥の庶子であり後継ぎ」だったわけよ。

私、憧れてたんだよね。若いころは活動家で、すごい現代詩を書いて、西武の社長で、セゾン文化を作ったのってすごくない?一人でそんなに色々できる?って。
セゾン文化の、色とりどりで軽薄そうだけど、底流にある文学性みたいなものに、自分とは異質と感じながらも憧れてたのもあって。

だけど、もともとが違んだよ。

ご近所の、商売っ気のない、居心地の良いバーやら飲食店やらが、生計を立てる手段じゃないってことはよくある。
それをまねて開業してはいけないわけで。

そういうこと、うちの親は教えてくれなかったから、就職する前後で、なぜ自分はもっと挑戦できなかったのだろうと軽い自己嫌悪を感じていたりもした。

しかしね、やっとわかったよ。

人間、バックグラウンドは語られないから、能力さえあればそこに行けると勘違いしてしまう。勘違いなのよ。
親の資金力や、経済的な失敗を許される環境、親から受け継いだ人脈。そういったものを備えた上で勝負している人がいる。

私のような庶民は、能力を磨いて、圧倒的な野心を持って、若いうちにしかるべき分野で勝負する必要があった。
バックグラウンドなく勝負できる業界も、たぶんある。
新卒でサラリーマンになることは、そのバックグラウンドを無視した成功に近づくチャンスでもあった。

だけど、私、どうにも野心が持てなくて、資本主義にもなじめなくて、芸術活動も熱心には取り組めず、勝負から降りたからさ。

ずっと、親が学歴はつけさせてくれたのに、資本主義のレースから降りて、昼間ゴロゴロ寝ていたり、魚さばいて南蛮漬け作るで一日終わったりして、後ろめたい気がしていたのだけど。

今や、いや、まあ、こんなもんよ。と思う。
地方の標準的なサラリーマン家庭から、4大出て、堅実よりの就職をして、しばらくして辞めて、結婚したけど旦那が2回失業して、その間にブログ書いて一儲けして、ワンオペ育児してたら、まあこんなもんよ。と。

この前、NHKの映像の世紀で堤さんと中内さんの回を見て、一文無しになった二人が語り合うラストに何ともやるせない気分になったりしたこともあって、この記事。

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