平安期より脈々と続く引きこもりというライフスタイル

管理人のどうでもいい日記

私がなぜ引きこもり生活に満足しているかという話です。まだこの話します。
しつこいけど、今、書かないと忘れてしまう感情なので、今書きます。

さて、実は旦那が短期の単身赴任を繰り返しており、私、ついに完成した感があります。
旦那がたまにしか来ない、通い婚です。
これこれ、私の憧れてたやつ、ついにキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
って。気づいたときには興奮しました。

そう私、中学生の頃から王朝文学に憧れており、自分がその後継者であると感じていました。
ええと、大丈夫?痛々しい?大丈夫?ついてきてる?

1980年代後期~90年代は、氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」(刊行1984年5月~1991年1月)という平安時代を舞台にしたラノベがベストセラーとなっており、源氏物語を漫画にした大和和紀の「あさきゆめみし」が1993年に完結して、10代女子が平安時代にアクセスしやすい時期だったのです。

ちょうど中学で古典を学び始めた私は、ものすごく、ものすごくはまりました。

現代語訳で枕草子を読み、更級日記を読み、紫式部日記を読み、土佐日記を読み、おちくぼ物語を読み、堤中納言物語は虫めづる姫君以外も全部読み、今昔物語と古今著聞集はちょっと理解できなくて、芥川龍之介の王朝ものを読み、折口信夫を読み、京都を訪ね、奈良を訪ね、自宅になぜか(なぜだ)あった、日出処天子を読んだら聖徳太子と蘇我蝦夷のBL(当時はこんな言葉なかった。やおいって言ってた)でした。

もとはといえば、幼少期、幼稚園に通っていなかったがゆえに周囲に遊び相手もいなくて退屈していた私は、庭の植栽に雨の当たる音や匂い、祖父母が育てる庭の草花の造形、植栽の背景に流れる雲の形や空の色なんかをすごく美しいと思って、箱庭のような自宅の庭で、四季を眺めて過ごしていたのですが、古典を読んで、1000年前に四季を愛でつつ家から一歩も出ずに暮らしたお姫様たちがいたことを知り、これは私だ、と思ってしまったのです。

中学高校時代、古典はほぼ満点でした。だって、教科書やテストで出てくるような文献は現代語訳かマンガでほぼ全部読んでたし、古語辞典ひかなくても、古文が古文のまま理解できるのですから。(これは勉強法を教えてくれた、高1の時の国語のM先生に感謝。)
中学の百人一首大会でも大差で優勝していました。百人一首カルタ自体の起源は明治時代というのはさておき。

更級日記の作者は、キャピキャピした文学少女で、同族嫌悪を感じるほどでした。
一方で、和泉式部日記とか、藤原道綱の母とかの、華々しい社交とか夫の心変わりとかも、小娘には今一つ理解できず。

でも、家から出ずに四季を愛でて、歌を詠んで、きれいな字を書いて、古今東西の教養をつけるだけで評価される時代があったことを知り、ここに私がいる、と思ったのでした。家から出ないことが称揚される価値観すごくないですか。紫式部とか、清少納言とか、作品を世に残したビッグネームではないたくさんの女性がいたはずなのです。宮仕えせず、家で絵巻物を楽しみ、年頃になったら通い婚で夫を得るまで、感受性のすべてを和歌や琴や書道に注ぎ込んで自らの価値を高めるという、そのような生き方をして名を残さなかった、私とそっくりな感受性を持った平安期の女性の誰かが、確実にいたということを感じたのです。

また、年若いフェミの戦士であった私にとって、王朝文学における女性の存在感はまた興味深いものでもありました。源氏物語が最古の女流文学とかそういうのもだし、ものすごい数の手紙や日記を女が書き、それが散逸して伝わってはいないというイメージには、今も魅力を感じます。

男から送られた手紙と同じ数だけ、女から送られた手紙もあり、その一つ一つにオリジナルの和歌が書かれているのってすごくないですか?隠喩だらけの和歌をお互い正しく読解するという高度なコミュニケーションを前提とした文学。

というわけで、表の設定としては、私は優等生の女子中学生だったのですが、その実、つねに、自分は平安朝の貴族の娘である、家から出ずに暮らしたい、それが本当の私の姿だという思いがありました。大丈夫、ばかげているって当時から思ってたから。でも、嗜好は変えられないものです。

そういうわけで、旦那と結婚し、宮仕え(会社勤務)をやめて在宅でできる仕事を始めたとき、私は心の底から喜びました。
その頃にはもう、自分は平安貴族の娘であるとかの妄想はしていませんでしたが、「家から出ずに暮らせることは、選ばれた者のみに許される特権である」という感覚はずっとありました。

大家業にこだわるのもその流れから理解できるかもしれません。
私は荘園が欲しいのです。

オルカンではダメですね。あれは単なる数字。やはり荘園ですよ。

というようなことを冷房の効いた部屋で書いているのってどうなのよ。エアコンは人間の感受性を殺しますね。

やはり、庭は必要です。できれば鑓水の流れるような庭が必要ですね。

というような背景があって、自分が引きこもりであることについて、ものすごくポジティブに受け止めている一面があります。
誰もお付きのものがいないのは、零落したから。それもなかなか良い。

旦那の単身赴任で、ついに通い婚的世界観まで完成し、「旦那は今週末は帰ってくるかな。いつまでいるかな」とか考えているシチュエーションもなかなか良い。
(実際は、旦那が帰ってくるなら食事を出さなきゃいけないとか、それで気にかけているだけですが。)

前にNさんとまるぼうさんと花見をしたとき、夫の浮気は心配ではないのかという話題になり、私は、「旦那には、どうぞどうぞ愛人作ってくださいと言ってある。別にいい」と話して二人をドン引きさせたのですが、平安貴族であれば、正妻以外に愛人がいることもごく当たり前なのですから、それはそれでよいのです。通い婚とはそのようなものです。現代の価値観を持ち込んではいけないのです。

というわけで、私は現状、家から一歩も出ずに暮らせていて、バーチャルだけど荘園(投資信託)の収入で暮らしてて、通い婚の夫がおり、ついに私はかつて憧れていたものになった、という実感があります。

ちなみに、子供は書道を習っていて、私が強く勧めたわけじゃないけど気に入って続けてる。やっぱりこの子も平安文化の後継者だと感じます。
これが最近の作品。

つたないところも含めて、平安期の小さい女の子もこうやって手習いしてたんだろうなと思うと、たまらん可愛い。
小式部内侍とかこういう感じでしょ。

書道の先生も、正座してこの作品を書いてるうちの子を見て、「まあ、まるで平安時代のお姫様みたい。平安時代にも、あなたとそっくりなお姫様がそうやってお稽古していたと思うわ」と声をかけてくださって、それはまさに私が思ったことで、みんなそう思うんだなって思った。

私たちは、長い長い日本の歴史の、ここまで伝わった何らかの文化の後継者であって、失われたものも含めて形成された美意識を、それぞれに分かち合いながら持っていると思うのです。

書道とか漆芸とか分かりやすいものでなくても、アニメが絵巻物の後継者であり、登山が役小角率いる山岳修験の後継者であるように。
私はどういうことか、平安期の貴族女性のライフスタイルに共感してしまい、まったく誰にも何にも役に立たないのですが、引きこもり生活を確立しました。

平安期の引きこもりを正しく継承し、今日も充実した引きこもり生活を楽しんでいます。今日はこの日記をつけました。日記ってすごく平安朝っぽくない?そう、これこそが私の目指していたもので間違いありません。

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