20年以上使った化粧ポーチを捨てるの巻

管理人のどうでもいい日記

私が使っている化粧ポーチです。ハタチの頃からもう20年以上使いました。
化粧品の汚れが落ちなくなってきたし、指で掴む位置が劣化して、繊維がボロボロになってきたので、潮時でしょう。
この20年、いろんなポーチに化粧品を入れ替えてみたけど、これ以上のポーチには出会えなかった。長い間ありがとう。

化粧筆がちょうど入る横幅で、中身を減らすとぺちゃんこになるし、すごく使いやすかったんですよ。
ジムトンプソンのです。ハタチの頃につき合っていた(というほどでもない、けど、食事に行ったりはしてた)人から、出張のおみやげとしてもらいました。
ジムトンプソンだけど、シルクではなくコットンなのです。
ジムトンプソンの紙袋受け取ったらさ、シルクのさ、スカーフでなくてもハンカチなんか期待してしまうじゃないですか。

そんなこともあって、これを手にしたとき、私はちょっと残念な気がしたのです。
この人、地元ではちょっと有名な中小企業のお坊ちゃんだったのですね。海外によく行ってて、センスの問われる系統の仕事についてた。
そんで、食事しませんかって数日前に声かけられて、私、その日誕生日なんですよって伝えたら、当日タクシーの中で「誕生日おめでとう。タイに行ってきたから、おみやげね」って言われてこれ渡されて。
きっと、会社の女性にばらまくおみやげが余って、私にもくれたんだなって感じの無難な柄、無難な値段でしょ。当時2000円前後だったんじゃないかな。

別につき合ってるわけでもなし、誕生日だからって私は一体何を期待していたのでしょうか。喜べばいいじゃないですか。ということを40代BBAになったから思うんだけどさ。だって数日でプレゼント買いに行けるほど暇じゃない時もあるじゃないですか。
それに、異性からもらったものだって、同性からもらったものだって、なんだって喜んで受け取るってもんでしょ。演技じゃなく、実際、今は何だって喜ぶ。誰かが自分のために何かしてくれることはありがたい。もらったものについてどうこう言うのは、お行儀が悪いし。人だって物だって一期一会ですよ。

だけど、二十歳で大学生でまだバブル期の狂乱をかすかに覚えていた誕生日当日の私は、このおみやげに不満だったわけです。
そんで、相手もその雰囲気を敏感に察知し、その次に会ったときにはアクセサリーをくれました。そういうところはスマートな人だった。

しかしそのアクセサリーもまた、華奢な十字架デザインのネックレスで、微妙なことこの上なかった。
この華奢なネックレスが私に似合うと思ったん?私のどこ見てそう思ったん?という。
けど、ポーチとネックレスの合わせ技で、男性と付き合うとはこういうものだ、という諦観のようなものが私の中に湧いてきたりもしたのです。
相手は私を華奢なネックレスが似合うと思っているし、私は相手が私の気に入るものをエスパーのごとく繰り出してくると思っている。

そのお坊ちゃんとはそれ以上深く付き合う流れにはなりませんでした。
その後もその人を含め複数人で食事したり遊びに行ったりしていましたが、今は疎遠です。
今、会社HP見たら元気みたいです。元気でよかったね。

というようなことがありました。
十字架のアクセサリーはあまり使わないままどこかに行ってしまいましたが、このポーチは毎日開け閉めして、20年使いました。
その人は、はからずも、私の一番欲しいものをくれたということなのでしょう。

二十歳とは、なんと傲慢なのでしょうか。いや、お前だけだろって言われたらその通りなのですが。
そのようなポーチを今日捨てます。布の部分は布地ゴミに。金属部分は燃えないゴミに。
そして、ジムトンプソンの同じ形のポーチを買いました。
また二十年後に、その人のことを思い出すのだと思います。

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