この前、ハウスクリーニングつーか、家事代行みたいなのをお願いしたんですけどね。

いや、おたくお金あるねえみたいな話じゃなくて、3000円で2時間つークーポンをもらったから頼んでみたんですけど。

そしたらびっくりしたんだけど、その会社でハウスクリーニングを定期利用している人の典型的なパターンって、掃除をまったくやらずに業者に任せちゃうスタイルなんですと。

そんで、週1とかで利用するの。

つまり家の掃除が週1回なの。

家にいなかったら部屋もそんなに汚れないし、そんなものなのだろうか。

さらに驚いたのが、鍵をその業者に預けて、ゴミ出しまでやってもらうっていう家庭が少なからずあるってことらしい。

週1回で掃除ゴミ出ししてもらって月4万円弱って見積だったと思う。

私、工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工ってなりましてですね。

値段じゃなくて、ゴミ出しを自分の手でしない人がいるという、その合理主義にびっくり仰天したのであります。

できるだけ家事は手早くやっているほうだと自負しているんだが、そこまで外注することは考えていなかった。

もはやルーティンとして家事外注が生活に組み込まれていて、自分ではゴミ捨てもいかないと。

そういう人類が日本には誕生しておるのですよ。

それを聞いて、「え、私、ゴミ出しぐらいは自分でいきたいな」と思った。

というか、掃除も、ときどきはこうやってプロの人にじっくりやってもらいたいけど、それに頼り切って、自分で自分の家を掃除できないのってどうよ、って気がしている。

でも、一戸建てになるとそうも言ってられない部屋数と床面積になるわけで。

でも、鳥だって動物だって、爬虫類だって、自分の巣は汚さないようにしてるじゃん?

それぐらいのことをできないんだったら、もっと小さく暮らしたほうがいいんじゃないの?分相応な家に住もうよ?みたいなことを思ってしまうのだけど。

でもさ「分相応」で「自分で家事できる」と思ったときに思い浮かべるのって、自分の母とか祖母の姿で、がっつり専業主婦。

しかも、母や祖母だって、祖母の母や祖母の時代では考えもつかなかった便利な器具を使って掃除はじめ家事をやっているわけで。

「かつおでダシをとれ」といううるさいオバハンはいても、「家にかつおぶし削り器がないなんて!家でかつお削らないなんて日本の食文化はどうなってしまうの!キィィ」という、うるさいオバハンは存在しないわけで。

さらには、カツオ釣ってきて自分でいぶしてカツオブシ作れみたいなことを言われた主婦は有史以来おそらく存在しないわけで。

カツオブシはいつの時代も、カツオブシ屋さんが作ってくれると、それで皆が合意しているからそれでいいわけで。

味噌と梅干あたりは、自分で作ろうと思えば作れるわけだが、作らなかったからといって責められるほどではないというのは、単に製造業者側の都合(製造コストを反映した値段とかマーケティングとか)にも左右されるわけで、だから掃除だってそういうことじゃん?

家事をどこまで「自分の手で」やるのか、というのはかなり難しい問題ではないのだろうか。

かつて、掃除機が日本の家事に導入されたとき、うっさいオバハンどもが反発したに違いないのだが、今は掃除機を堕落だなんだという言う人はいないし、ルンバが掃除している時代ですよ。

それで要するに、掃除は自分の手でというのは、「母と祖母がそうやっていたから」という固定観念にとらわれているだけで、本当は自分でやらなくていいのかな。と思いはじめたりする。

でも、それでも、やっぱり、自分の身の回りのことは自分でやりたい、みたいな気分もあり。

でも、アフィって家事して育児していると、回らなくなるから、ある程度は外注しなきゃ仕方ないんだよね。

というわけで、私は今はカツオブシでダシとってなくて、ダシのもとを使っているのだが。

それでなんの話だっけ。

この期に及んでゴミ捨てと掃除を外注することに、疑問を持つのはおかしいか、という問いであった。

やっぱりさあ、掃除は自分でしたほうがいいと思うんだよね。

子どもが掃除の方法すら知らないのはまずいと思うんだよ。

小さい頃、お手伝いさんが掃除してて、お母さんは掃除しないというお金持ちの家があったけど。

その家の子はちゃんとした子に育ってたな。ならそれでいいのか。

でも、やっぱり自分で最低限の家事をしたいと思う、私のこの気持ちは何なのでしょうか。

そんでもって、最低限の家事とはいったい何なのでしょうか。

洗濯板でゴシゴシする必要などなく、洗濯機のスイッチをポンと押すと、乾燥機が止まるまで何もしなくてよい時代です。

スーパーに行かなくても、玄関先まで肉野菜の届く時代です。

掃除しているのはルンバで、食器洗っているのは食洗機です。

この時代における、「最低限の家事」っていったい何なのさ。

ということを考えていくと、いや、全部外注していいじゃん、か、いや、すでに手を抜きすぎだ、ちゃんとやれ、か、どっちかの極論に振れてしまいそうなのですが。

要するに私はどんな母親として子供たちに見られたいのか、ということに収斂していく。

どう考えたって、私は家事できるタイプの母親ではないのだからして。

せいぜい、機嫌のよい母親だと思われたいのであれば、そりゃあ、家事外注して時間を作るしかないんじゃない?ねえ。

そうすると、あれです。もうちょっと稼がないと無理なのであって、じゃあ、それはいいからとりあえずアフィれ。休むな。という話。

そしたらアフィで忙しくて、だから家事外注が必要になって、っていう。何この堂々巡り。

Phaさんとこに行って、メキシコの漁師の寓話でも読んでくるがいいよ。